| 1956年 | 6月28日、京都府東舞鶴市民病院にて産声を上げる。
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| 1966年 | (ビートルズ来日の年)のお正月、映画館に「怪獣大戦争」を観に行くも
同時上映だった「エレキの若大将」に衝撃を受け、ギターを手にする事を決意する。
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| 1968年 | ザ・タイガースを始めとするGSや寺内タケシ、加山雄三等にハマっていたが
ある日テレビの『ビートポップス』という番組でストーンズの新曲として紹介された
「Jumpin' Jack Flash」を聴いた瞬間背中に電流が走る。 今にして思えばこれがROCKへの目覚めか。
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| 1972年 | 〜1975年、高校時代初めてバンドを作り人前で演奏する快感を知る。
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| 1975年 | 大学進学のため上京。
以降、学生時代はハードロックバンドやクロスオーバーバンド(当時流行っていた)
を幾つか渡り歩きながら、プロになる道を模索。
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| 1979年 | とし太郎&リバーサイドのギタリストとしてレコードデビュー。
初めてのレコーディングやテレビ出演等、貴重な体験をするも音楽性が合わず半年で脱退。
同年後藤次利バンドにオーディションで選ばれ参加し、短い期間ではあったがスタジオワークを通じてアレンジの基礎を学ぶ。
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| 1984年 | 自身のバンド結成を試みるにあたってオリジナル曲を作り始める。
その中の1曲が浜田麻里に取り上げられる事になり(「Paradise」/3rdアルバム『Misty Lady』収録)
これが長年にわたる作曲家活動においての記念すべき初レコード化作品。
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| 1988年 | NHKソウル・オリンピックのテーマソングとして浜田麻里に「Heart And Soul」を提供。
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| 1989年 | 同じく浜田麻里に提供した「Return To Myself」がオリコンチャートNo.1を獲得。
この頃より活動の中心が作曲&アレンジ方面に移って行く。
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| 1990年代 | に入って自宅での本番レコーディング環境の構築に熱が入り、
新旧入り乱れた録音機材の収集が始まり、エンジニア的作業にも没頭するようになる。
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| 以降 | 作曲、編曲、演奏、サウンドプロデュース、時にはエンジニアまで・・・と様々な形で
多くのアーティストの作品に関わって来ているが、ここ数年はあらためて己のルーツである
ロックギタリストという部分を打ち出して行くべく精進中。
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